そこで、それまでに強く印象に残った専門書を軸にして、私なりの「概論」を模索した。何よりも実証研究を心がけてきた北大15年間であったから、「理論なき経験的資料は盲目であり、資料なき理論は空論である」(ミルズ、1959=1965:86)を大前提としてまとめ始めた。理論を支える資料を獲得する方法でも、資料から理論を創造する過程でも、「あらゆる者は自己の方法論者となり、あらゆる者は自己自身の理論家となれ」(同上:292)である。

誰かを研究するのが最終目標ではないのと同様に、「用語をめぐって闘争するのではなく、用語を使って議論」(同上:32)したい。それに役に立つような「概論」を模索し、「社会学的想像力」を駆使して、最終的には「社会学的創造力」を強化することが学問としては正常な道ではないかという判断があり、そのまま書名に転用した。

パーソンズの晩年の作品からも

また若い頃から少しずつ読んできたパーソンズの晩年の作品から見つけた、「実際、経験的問題に関連するように定位される理論のみが、まさに科学的理論と称されるに値する」(パーソンズ、1977=1992:ⅱ)を「実証研究」の導きとしてきたこともあり、本書の冒頭に置いた。

社会学的想像力

ミルズの「社会学的想像力」とは、要するに「個人環境にかんする私的問題」と「社会構造にかんする公的問題」(同上:10)を絶えず往復する思索から得られる。

前者はいわば「個人の身近な現象」であり、「少子化する高齢社会」を事例とすれば、子どもが減った、高齢者が増えた、退職者が増えた、転職者が増えた、非正規雇用者が増えた、単身者が増えた、核家族と三世代家族は少なくなったなどが該当する。

マクロな社会現象への視線

後者は「個人からは遠い社会現象」であり、保育園や幼稚園の入学定員割れが過疎地域では始まった。都市部の義務教育段階でもそれが生じつつある。そしてまもなく入学定員の半数しか集まらない大学が増えてきて、大学間の淘汰が現実化する。