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(前回:『高齢社会とあなた』の「縁、運、根」)

社会学の講義とゼミ

北大に赴任したら、1年生の「社会学」は通年で、学部の「社会学概論」は前期に行い、後期は「社会学特殊講義」を担当することが多かった。それ以外に学部生の専門ゼミ、4年生の卒論指導、大学院修士・博士課程の「社会学講義」と専門ゼミ、そして該当者がいれば「博士論文指導」をいずれも通年で受け持っていた。

また、他の大学から「集中講義」15コマ分として、年に1名を招くための予算を文部(科学)省が認めていた。そのため社会学全体としては重要だが、北大の講座にその専門家が不在の分野に関しては、他の大学から夏休みの前後に専門の先生をお招きして、学部生大学院生を問わず、受講できるというシステムを採っていた。

他大学での集中講義は「特殊講義」

私もいろいろな縁により、北大30年の間に、九州大学、東北大学、東京工業大学(現東京科学大学)、山梨大学、大阪市立大学(現大阪公立大学)、島根県立大学で、「少子化」、「高齢化」、「都市コミュニティ」、「地域福祉」などの「集中講義」を行ってきた。

この「集中講義」ではこれまでの連載で紹介してきたように、かなり細かなテーマをオリジナルな調査データによってまとめた内容を軸に14回話して、最終回は筆記試験をしていた。

「社会学概論(原論)」に挑戦する

ただし、それが成功する条件としては、社会学理論の何をどのように使ったか、その結果として何を得たかという論点が重要になるので、毎年前期に学部で行っていた「社会学概論(原論)」にも力を注いでいた。気がつくと、その準備ノートや配布プリントが10年分くらいたまっていた。そこで自分なりの「社会学概論(原論)」をまとめようと考えて、1999年の前期からの講義に際して、それらに手を入れ始めた。

体質的に社会学の学説研究や特定個人の理論を究めることに関心がないことは、大学院生時代から自覚していた。なぜなら、経済学のマルキストやケインジアンと同じく、社会学でもウェーバーリアン、デュルケミアンと称される学説研究者が少なからずおられたが、この方々のように、自分の生涯をかけて一人の先学者の研究など到底できないと感じていたからである。

ミルズ『社会学的想像力』が原点