そのため、ASDの人の中にはそれを外部に悟られないために、普通にコミュニケーションが取れているよう“演じる”ことができる人たちも多いのです。

このような努力は、一見「社会適応力が高い」と受け取られがちです。
しかし、実際には本人に大きな負担を強いる行動でもあり、常に意識して演技を続けなければならないことから、次第に自分が何者であるのか分からなくなる「自己喪失感」や、慢性的な疲労感、不安、うつといった二次的なメンタルヘルスの問題につながることが報告されています。
では、なぜこのカモフラージュ行動は女性に多く見られるのでしょうか?
その背景には、文化的・社会的なジェンダー規範の影響があると考えられています。特に女の子は、幼い頃から「相手の気持ちを考えて行動すること」や「周囲に気を配ること」が大切だと教えられる傾向があります。そうした期待が、幼い頃から無意識に刷り込まれることで、ASDの傾向を持つ女の子も周囲に合わせようと努力を始めるのです。
また、女児は言語発達や模倣能力が男児より早い傾向があることも、カモフラージュをしやすくする一因と考えられています。つまり、社会的に“普通”を装うための手段を早くから身につけやすいのです。
こうして、“普通に見せる力”を持ったASDの女性は、ASDと診断されにくく、支援を受けにくいという大きなリスクを抱えることになります。
ただ、ここまで見てきたカモフラージュ行動は、誰もが多かれ少なかれ集団生活の中で実行しているものであり、「対人関係の気疲れ」に似た印象を受けます。
では、多くの人が感じる“コミュニケーション疲れ”と、ASDのカモフラージュ行動には、どのような違いがあるのでしょうか?
ここからは、その類似点と決定的な違い、そして「ASD的特性」は誰もが少しずつ持ちうる可能性について考えていきます。