吸う時には嗅内皮質、扁桃体、海馬といった大脳辺縁系のニューロンが刺激されるのです」と研究者の一人であるクリスティーナ・ゼラノ氏は述べています。

この発見は、吸気・呼気のリズムが人間の情動反応(恐怖の察知)や記憶想起にまで影響し、特に鼻呼吸が重要な役割を果たしていることを示唆するものです。

呼吸が情動に及ぼす影響としては、マウスの「恐怖凍り付き反応(フリーズ現象)」に関する報告も興味深いでしょう。

怖い刺激に遭遇したマウスは身動きを止めて固まりますが、その最中、前頭前野には約4Hzのリズミカルな活動(4ヘルツの振動)が出現します。

この4Hzの脳振動は実は呼吸の位相と同期しており、しかも鼻呼吸によって維持されていることがわかりました。

鼻腔を通さない呼吸ではこの前頭前野の振動は消失し、恐怖によるフリーズ状態の持続も妨げられたのです。

さらに近年の研究では、マウスが安全な環境でゆっくり呼吸している安静時には、呼吸由来のゆっくりした振動が脳内でより強く表れることも示されています。

このことは深くゆっくりした呼吸が脳における呼吸同期シグナルを高めうる可能性を示し、瞑想やリラクゼーションで「深呼吸」が重視される理由を生理学的に裏付けるものかもしれません。

一方、呼吸は記憶の形成や整理にも関与しているようです。

ある研究では、マウスが睡眠中に呼吸リズムを通じて海馬と前頭皮質の活動を同期させ、記憶の定着を助けている可能性が報告されました。

通常、覚えたばかりの記憶は海馬に一時保存され、睡眠中に脳全体(新皮質)へと再配置(システム固化)されると考えられています。

この過程には海馬と皮質の同期した活動(「会話」)が重要ですが、マウスにおいて呼吸がちょうどメトロノームのように海馬と前頭前野のリズムを同調させ、記憶固定を手助けしている可能性が示唆されたのです。

このように、本総説がまとめた多くの実験結果は「呼吸が全身に酸素を送るだけでなく、脳内の情報処理や状態維持にもリズムを与えている」ことを示しています。