1個しか発射していない光子が一方の経路(穴)で1個を超える量が存在するという結果は奇妙に聞こえます。
しかしこれは量子力学の“弱測定”から導かれる有効量(弱値)の特徴であり、“負の存在”があることで両経路の干渉を打ち消し、結果的に暗い領域にも光子が現れる”と解釈できます。
現象としては「暗いはずの場所に現れた光子は、ほぼ完全に片方の経路を通った」という理解で差し支えありません。逆に、明るい領域(光が強め合って多数検出される場所)で見つかった光子は、二つの経路をバランスよく重ね合わせて進んできたと考えられます。
こちらはどちらか一方に偏るのではなく、両方の経路に等しく存在し、それぞれの位相や振幅がちょうど重なり合って強い干渉を生み出す状態です。
つまり、同じ実験条件下で発射された光子であっても、最終的にどこに検出されるかによって、「片方だけ通った」か「二つの道をほぼ同時に通った」かという過去の分布が大きく変わるのです。
このように、光子が最終的に現れた検出位置(明るいか暗いか)によって、その光子が過去にどう存在したかが異なって見えるというのが今回の実験で示唆された主要なポイントです。
あえて逆因果的な表現を使えば、「光子が二つのスリットをどう通り抜けるかは、じつは後になって私たちが「どの出口でその光子を受け取ったか」を測定することで決まる」と言えます。
言い換えれば、スクリーンで光子を検出した瞬間の結果――未来の出来事――が、光子がその前にどちらの道を進んだかという“過去の行動”を後から確定させるように働く、というわけです。
研究チームも、この結果が量子力学独特の“不思議”を端的に示していると強調しており、観測(つまり最終的な検出)という“文脈”が、粒子の在り方に決定的な影響を与えるという重要な事例だと位置づけています。
これまで「観測すると粒子の状態が決まる」と漠然と言われてきたことが、単なる比喩ではなく文字通り起きていると示したのが今回の実験と言えます。
多世界解釈は死んだのか?
