この記事では、ウクライナ侵略に関するプーチン政権の政策決定について、政治学者のスティーブン・ウォルト氏(ハーバード大学)が心理学の基礎理論を用いて説明した、『フォーリン・ポリシー』誌のエッセイから、これに該当する部分を抜粋したうえで、わたしが解説をくわえたいと思います。
「人間は…損失回避のためなら、より大きなリスクを厭わない…プーチンは、ウクライナがアメリカやNATO(北大西洋条約機構)との連携へと徐々に傾いていると確信したなら…彼が取り返しのつかないとみなす損失を実現させないことは、一か八かの賭けに値するものなのかもしれない」。
プロスペクト理論は、ダニエル・カーネマン氏(ノーベル経済学賞受賞)とエイモン・トベルスキー氏により確立されました(Daniel Kahneman and Amos Tversky, “Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk,” Econometrica, Vol. 47, No. 2, Mar., 1979, pp. 263-291)。そして、この理論は国際関係論にも広く取り入れられました。
たとえば、政治学者のデイヴィッド・ウェルチ氏(ウォータールー大学)は、開戦の決定を含む外交政策の変更を損失回避行動で説明しています。すなわち、「対外政策が最も劇的に変化しやすいのは、このまま現状が維持されることで、大きな苦痛を伴う損失をこうむり続けると指導者が判断したとき…我慢できる(損失を回避する)結果に至るかもしれない選択肢が…存在していると政策決定者が認識したとき」ということです(『苦渋の選択』田所昌幸監訳、千倉書房、2016年、17頁)。
つまり、国家というものは、利得より損失に強く動かされるということです。この視点が欠落してしまうと、前出の地域研究者のように、プーチンの決断には「政治的整合性がない、何の得もない」という結論に至っても不思議ではありません。