それからは電話や手紙で内容について数回のやり取りがあり、正式に出すことが決まり、執筆を開始して98年の3月にはいちおう脱稿した。

北海道での介護保険モデル事業の責任者

ただし、NHKブックスはいわゆる新書版とは異なり、版型が一回り大きくて、400字詰の原稿用紙では400枚ほどが必要であった(当時の新書は300枚程度)。それで、内容を追加する必要が生じた。

1997年12月に成立した介護保険法はもはや「老人問題」対応の域を超えていて、社会全体での取り組みのための切り札的な期待が寄せられていた。

そこで厚生省は、2000年4月からの「介護保険制度」立ち上げに際して、各都道府県の高齢者福祉課にそのための「体制整備検討委員会」の設置を義務付けていた。『都市高齢社会と地域福祉』と『高齢社会・何がどう変わるか』を出していた関係で、私は北海道高齢福祉課からその委員長を打診されて、3年間務めることになっていた。

3年間のモデル事業

96年からの第1回のモデル事業は、全国で60の市町村を選び、在宅50人、施設入所50人を対象にして、介護保険の要となる「要介護認定」の実践に力を入れた。

47都道府県から原則は1自治体を選び、合計で100人を対象にするモデル事業であったが、面積が広い北海道や人口が多い東京都を含むいくつかの府県などは、都心部と郡部の2自治体で合計200人を対象にした。

第二回、第三回モデル事業

97年度の第二回モデル事業で北海道では16地区34市町村に広がり、98年度の第三回モデル事業は全国3300市町村のすべてで2000年4月以降と同じ様式で実施された。

詳細は拙著に譲るが、一次判定と二次判定間のズレをいかに縮めるか、介護認定調査員に誰を委嘱するか、戸別訪問では移動に時間がかかりすぎるが、これをどうするか、「二次判定」では「要介護度が高くなりがち」な傾向がある、対象者が複数の医師(内科、耳鼻科、皮膚科、眼科など)に診察を受けている場合の「かかりつけ医」をどう定義するか、介護認定調査員の1件当たり「報償費」が1700円、「かかりつけ医」のそれが3000円では安いのではないか、などが毎回委員会の議論のテーマになった。