1996年2月に北海道余市町と積丹半島東岸の古平町を結ぶ国道229号の「豊浜トンネル」で崩落事故が発生した。不幸なことにその崩落に数台の車が巻き込まれ、懸命な救出作業が行われたが、20名が亡くなられた。岩盤が硬すぎて、最終的に全ての遺体収容が出来なかった。
崩落したトンネルは塞がれて、その後に近くを迂回して新しいトンネルが造られて、出口に慰霊碑が建立されている。
ニッカウヰスキーの故郷
余市町には、「日本のウィスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝が、1934年に大日本果汁株式会社(日果、ニッカ)を設立したところである。
余市町はリンゴが特産で、ニッカはリンゴジュースを製造販売して、それを基にしたブランデーにも手を伸ばし、2年後には大麦を仕入れてウィスキー製造に踏み切った。その出荷開始は1940年になり、2001年にアサヒビールの完全子会社となったが、今日までウィスキーの製造は続けられてきた。
余市町の「豊楽会」
たまたまだが、96年のアメリカ視察旅行から帰国した夏の終りに、余市町社会福祉協議会で「小地域ネットワーク事業」についての講演会を行った。それが済んでから会長はじめ数名の職員と懇談していたら、豊浜地区にある「豊楽会」という平均年齢が70歳の女性だけの助け合いグループを教えていただいた。
その頃の余市町では「小地域ネットワーク事業」が盛んであり、97年度の第47回北海道社会福祉大会で「優良団体」として表彰も受けていた。
そこで、後期の授業が始まる直前に、そのグループを直接訪問した。11名の会員のうち集まられた8名と3時間のインタビュー調査を行った。その代表が今田さん(仮名)であり、夫が病死した後「一人暮らしは寂しいので、ご近所の同じような高齢者に声をかけて、「一品持ち寄り」の昼食会や夕食会を週に5回は開くというものであり、90年から続けられていた。
「豊楽会」の長続きの秘訣
たとえば8人ならば、食卓に手作りの8品が並ぶことになり、「孤食」よりもずっと楽しい会話が弾む食事に変貌する。