EUがコミットし、ドイツがリードしている欧州の気候変動対策において、その目標としている2050年温室効果ガス排出ネットゼロという目標(いわゆる1.5度目標)を達成するためには、IEAのシナリオ分析によると2030年に先進国においてCO2排出トン当たり130ドルのカーボンプライスが必要ということになっている※2)(ちなみに2040年は205ドル、2050年は250ドルである)。

一方ドイツ連邦環境省(UBA)の2023年のデータによると、ドイツ人一人当たりの年間CO2排出量は約10トンということであるから、このままの排出が続けばドイツ人は2030年に一人当たり1,300ドルのカーボンプライスを負担しなければならないことになる。仮に何らかの対策によって一人当たり排出量を半減できたとしても年間650ドルの負担である(もっとも排出量を半減するためには車をEVに乗り換え、家庭に高価なヒートポンプ暖房を設置するなどの追加的なコスト負担が必要なので、650ドルはそうした負担をした上で残った排出量に課されるカーボンプライスである※3))。

年間650ドル(約600ユーロ)の負担ということは、せっかくキリスト教を捨ててまで節約した教会税450ユーロを上回る新たな負担を背負うことを意味している。もしドイツ人が素直にこの負担を引き受けるとした場合、その背景にある意図はそれによって地球温暖化が回避・抑制され、異常気象や災害頻度が下がり、快適・安全な気候条件を取り戻すことができると信じるからと好意的に解釈されよう。

つまり気候変動政策が掲げる2050年カーボンニュートラルという目標は、それによって「地球が救われる」という救済論(あるいは何もしなければ人類が滅亡するという終末論)を掲げた、ある種の宗教的な教義ともいえるイデオロギーになっているのだが※4)、仮にそれを信じてこの年間600ユーロの「気候変動教会税」を毎年払う結果として、はたしてドイツ国民はその御利益を実感できるのだろうか?(実際にドイツ国民が負担することになるカーボンプライスは「税」ではなく、化石燃料価格や化石燃料を使って供される様々な物品、サービスの価格上昇を介して負担することになるのだが、ここではそれらを「気候変動教」の下での「救済」を得るための教会税負担として比喩的に表現している)