
1993年のJリーグ発足時、世界的スターたちがピッチに立った。元ブラジル代表MFジーコ(元鹿島アントラーズ)、元イングランド代表で1986年FIFAワールドカップ(W杯)メキシコ大会得点王のFWガリー・リネカー(元名古屋グランパス)、元西ドイツ代表MFピエール・リトバルスキー(元ジェフユナイテッド市原)らの加入は、Jリーグの人気を一気に高め、日本サッカーのレベル向上に貢献した。
以来、外国籍選手はJリーグの進化に欠かせない存在だ。現在、Jクラブは1部から3部まで計60を数え、互いにしのぎを削るアジア屈指のリーグとなった。外国人枠のルールも時と共に進化し、2019年の改正では、J1は試合出場枠が最大5人、J2とJ3は4人に拡大され、アジア枠が廃止された(タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、シンガポール、インドネシア、マレーシアは「提携国枠」として無制限)。
これにより、Jクラブは多国籍なタレントを積極的に獲得し、戦術の幅を広げている。外国籍選手の役割も多様化。昨2024シーズンには、J1だけで90人以上の外国籍選手が在籍し、ブラジル、韓国、オーストラリア、欧州各国、アフリカ各国出身の選手がピッチを彩っている。
ここでは、外国籍選手がJリーグの現在地にどのように影響しているかを、地域密着の理念やサポーター文化とともに探っていく。

J史における主な外国籍選手:ジーコからアンデルソン・ロペスまで
Jリーグ草創期、ジーコやユーゴスラビア代表FWドラガン・ストイコビッチ(元名古屋グランパス)は、技術とプロ意識でJリーグを牽引した。ジーコは鹿島を1993シーズンのファーストステージ優勝に導き、引退後は指導者としてもクラブに貢献し、日本代表監督にまで上り詰めた。