共通語とは、学校教育やテレビ、インターネットなどで広く使用される全国的な言語形式で、構造や語彙が比較的一定です。
一方、方言とは、特定の地域で話される言葉の変種であり、単語や言い回し、イントネーションに独自の特徴が見られます。そして、方言はどういう場面で使われるのかを考えると、「親密さ」「地元意識」「空気の共有」といった社会的意味を担っている可能性が見えてきます。
社会言語学や語用論(言葉の意味でなく、どう使うかを論じた理論)の観点では、方言は話者の親密さや帰属意識、心理的距離などを調整する役割を持ち、文脈依存的に運用されるものとされています。
たとえば、親しい友人との会話では方言を自然に用いる一方、改まった場面や目上の人との会話では共通語に切り替えるといった言語行動は、方言が単なる語彙の選択以上の「社会的ふるまい」として機能していることを示しています。
つまり方言は単なる地域独特の言い回しというだけでなく、「誰に」「どんな場面で」「どういう気持ちで」使うかが強く問われる言語形式と言えるのです。
実際に、松本教授の研究でも、ASD児は共通語は話すのに、方言だけを極端に使用しないという非対称な傾向が示されました。このことは、方言の使用が単なる言語知識ではなく、相手の意図や場の空気を読む能力に深く関わっている可能性を示しています。
“空気のある言葉”が苦手な理由
一方で、別の角度からASDの言語理解に迫った研究があります。
早稲田大学・中央大学・東京学芸大学の研究チーム(篠原康明・内田真理子・松井智子、2023)は、ASD児が日本語のピッチアクセント(たとえば「雨(あめ)」と「飴(あめ)」の違い)をどの程度識別できるかを実験的に検証しました。
彼らの研究によれば、ASD児は音の高さ(F0)や音の長さ・強さといったいくつもの音の特徴をまとめて聞き取り、そこから“何を言いたいのか”を理解する精度が、定型発達児よりも有意に低いことが示されました。