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日本における自由な「内閣総理大臣批判」
「言論の自由」とは、政治的には「政府当局者に対する批判の自由であり、民主主義の精髄である。」(小泉信三著「共産主義批判の常識」小泉信三全集10巻36頁)。法律的には憲法で保障された市民的自由であり基本的人権である(日本国憲法21条)。
「言論の自由」は多様な価値観の存在と対立を前提とし、言論を通じてより良い結論を得るための民主主義の根本原則である。具体的には、国民が政府および国の最高権力者を自由に批判できるかどうかが「言論の自由」の核心である。
日本では政府および内閣総理大臣を批判する自由が認められていることに異論はないであろう。日本共産党の機関紙「赤旗」を含め、日本の新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどによる政府および内閣総理大臣批判は日常茶飯事である。
最近の2025年5月15日付け「週刊文春」でも自民党石破茂首相を批判する「元側近の闇献金3000万円爆弾証言」が大きく報道されているのは周知のとおりである。事実に反する報道でない限りは何らの制裁もない。
「言論の自由」は欧米や日本などの自由民主主義国家のみならず、旧ソ連や中国、北朝鮮などの社会主義・共産主義国家においても憲法上保障されている。即ち、1936年のソ連「スターリン憲法」においても、言論・出版・集会・デモなどの自由が認められていた。ただし、これらの自由は「社会主義体制を強化するため」にのみ認められていた。
中華人民共和国憲法35条でも言論・出版・結社の自由が認められている。朝鮮民主主義人民共和国憲法67条でも言論・出版・集会・結社の自由が認められている。
政権批判で生命の危険が生じる社会主義・共産主義国家
社会主義・共産主義国家においても憲法上「言論の自由」が認められている。しかし、「スターリン憲法」では、上記の通り「社会主義体制を強化するため」との条件付である。これは、中国、北朝鮮でも同じであり、社会主義政権を批判する「言論の自由」はあり得ない。もとより共産党の最高権力者に対する批判の自由もあり得ない。万一、批判すれば下記の通り生命の危険が生じるのである。