ただ僕はその後、高校生の時に、音楽系の部活って体育会と文科系の間ぐらいの感じなんですけど、全国にずっと行ってるみたいな部活の中心人物みたいになると、案外「規律大事だな、敬語大事だな」・・・みたいに思うようになって(笑)

とはいえ、当時の自分はそういうのを敵視してたんでどんどん廃止していこうとしたんですけど、そしたら物凄い弱くなっちゃって

安藤社長:まあそうなりますよね(笑)

倉本:そういう識学的な部分が案外大事なんだな、ということを後から気づくようになったのが僕なのかなと思うんですよね。

とはいえ、世の中がどんどん識学的に見ると軟弱(笑)な方向に寄っていくじゃないですか。世の中全体がどんどん立場とか上下とかいうものに対して、すごいアレルギーがある時代になってきてて・・・

そういう時代の背景の中でも秩序が崩壊しないように、誰のためにもならない探り合いとかで疲弊しないで、皆が対等っていう前提は飲んでもいいから、その上で機能する議論をしていこうっていう話をしているのが僕の『論破という病』の趣旨だと思うんですよね。

一方で識学さんはそうじゃなくて、オールドストロングスタイルで、組織っていうものをきっちりと作ることで、無駄な探り合いじゃなくて「機能する議論」ができるようになるんだ、という方向で書かれているところが、僕と共通してるところでありつつ「逆から見てる」部分でもあるのかなと思いますね。

2. ファクト(事実)が何なのかをちゃんと見る議論をしなくては・・・社会問題も同じ

安藤社長:そうですね。ただ僕が一つ思ったのは、 2つの議論があった時に、僕らどっちかっていうと、事実は何ですかっていう側のアプローチなので・・・

倉本:そうですね、それが大事ですよね。

安藤社長:どっちも聞かない、事実がない話があるじゃないですか。要は双方のやってみないと分からないみたいなところとかに関しては、どんどんまずはやってみて判断していく方向なんで、無理やりどっちがいいとかいう言い切るのとは全然違うんですね。だからどっちの意見を活かした意思決定をするってことは常にあるので。