(前回:【対談・中編】日本の経営者は”経営の役割”を果たせていない!?)

創業4年で上場を果たし、さらに急激な成長を続ける株式会社「識学」の安藤社長と、「経営コンサルで思想家業もやってる」倉本圭造の対談、後編です。

前編記事・中編記事はこちら。

ここまでの議論をもとに、とにかく「あいつが悪い」「こいつが悪い」と言ってないで、「機能する議論」をして、問題解決していかないと日本はもうヤバい時代なのだ、その「機能する議論」を日本で回復するにはどうしたらいいのか?という話をしています。

識学さんのチャンネルで動画も掲載されてます。(動画は前後編の二本、テキスト版は前中後編の三本になっています)

1. 「論破」をしても意味はない。「機能する議論」をしなくては

安藤社長:じゃあちょっとこの『論破という病』という本の話をしましょう。

倉本:読まれたんですよね、どうでしたか?

安藤社長:非常に納得できる部分があって、僕らも「論破する」っていう感覚は全くなくて、要は部下との話の中でも言いくるめるとか、そういうのじゃないんですよね。役割と役割同士の関係なので。例えば同格の役割同士がぶつかって話し合いをするとするじゃないですか。その時に僕らは「論破はしちゃいけない」と言ってるんですよ。

責任同士がぶつかりあうのは自然なので、その時はその上の責任者が、全体最適を見て判断しなさいというふうに言ってるんですね。だから、論破という感覚は、識学による組織運営場全く存在しないんですよね。

という意味ではすごくよくわかるというか、何もいうことはないって感じでしたね。この本にある「メタ正義感覚」というところまでの感覚は僕は持っていなかったですけど、大変よくわかる部分があるなと思いました。

倉本:安藤さんと僕の見方の違いみたいな話を考えると、僕はもともとすごい個人主義者で、なんか日本語に敬語があることすら許せんっていうような中学生だったんで、発想の元になる個人的な感覚自体はかなり違うんだと思うんですね。