前年12月、天皇杯2回戦の福島FC戦(3-0)で後半40分から途中出場し、公式戦デビューを果たしていたが、当時のオズワルド・アルディレス監督の英断によるまさかの開幕スタメンは、清水サポーターをもザワつかかせたのだ。
さらに日本中のサッカーファンを驚かせたのが、その直後に岡田武史監督率いる日本代表に選出され、同年4月1日に敵地ソウルで行われた韓国代表戦(1-2)で先発フル出場。わずか10日間で、ユース所属の高校生が代表スタメンにまで上り詰めてしまったのだから「シンデレラストーリー」と言うほかない。後日、岡田監督はユース所属の市川の将来性に注目し、ウォッチし続けていたと語っている。
1993年に発足した清水のジュニアユース1期生から代表選手が輩出されたことによって、「育成の清水」を印象付けた。しかし、コンスタントにユースからトップチームに選手を昇格させた一方、代表にまで選出されるのは、現在主将を務めるFW北川航也(2015年トップチーム昇格)まで現れていない。
市川は1998年フランスW杯の最終選考を兼ねたスイス合宿に参加したものの、FW三浦知良(現アトレチコ鈴鹿)、MF北澤豪(2002年引退)とともに落選。しかし市川だけは帰国せずにチームに帯同して裏方仕事に徹し、代表イレブンを陰で支えた。
そして4年後、フィリップ・トルシエ監督が率いる2002年の日韓W杯では代表に選出され、初戦のベルギー代表戦(2-2)に先発出場、決勝トーナメント1回戦のトルコ代表戦(0-1)で敗れるまで4試合中3試合に出場した。
大会後、リーグ・アンのストラスブールにテストを兼ねた練習参加に臨んだが、欧州移籍は叶わなかった。清水との契約が残っていた(移籍金が発生する)のがその理由だったと言われている。W杯に出場したとはいえ、まだまだ日本人選手への評価はその程度だったことを物語っている。