現在の国際情勢を鑑みれば、日米安保条約が存在しているというだけで、米軍が台湾有事や尖閣侵攻の際に確実に日本の防衛に動くという保証はもはやない。アメリカ国内では「日本は基地提供でよいと思っている。米国有事では動かない。軍事同盟なのに許せないことだ」「日本人自身が自国を守る気があまりない。そんな日本は守るに値するか」という声すらかなり前から出始めている。
日本は「平和ボケ」から目を覚まさねばならない。安倍政権や岸田政権など歴代自民党政権は、少なくともこの厳しい現実に向き合う姿勢は見せていた。しかし、相次ぐ「裏金疑惑」や「お米問題」など政治の信頼を損なう事件によって、次期総選挙では政権が大きく揺らぐ可能性がある。
いまや日本の安全保障は、戦後最大級の転換点を迎えている。その本質は「誰かに守られる国家」から「自ら守る国家」への移行であり、その選択を迫られているのは、まさに私たち国民自身である。
フジテレビの「日曜報道」において、フランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏が日本の核戦略に言及しようとした場面で、突如として話が遮られ、番組が終了するという出来事があった。やや以前の放送ではあるが、この対応は報道機関としての本来の責務を放棄したものであり、多くの視聴者に違和感を与えたはずだ。
この一件は、日本において「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則をさらに超えて、「言わせない、考えさせない、議論もさせない」という空気が、今も昔も広がっていることの象徴である。特に主要報道機関がこうした姿勢を取ることは、言論の自由を土台とする民主主義国家において看過できない。
誤解のないように言えば、私は現時点で日本が独自に核兵器を保有することには反対の立場を取っている。しかし、非核三原則のうち「持ち込ませない」という原則については、国際情勢の変化を踏まえた再考が必要だと考えている。1950~60年代には、米艦船が核兵器を搭載したまま横須賀などに寄港していた事実があり、米海軍のラロック退役少将もこれを認めている(画像)。彼は筆者に直接認めただけでなく、同じ内容を米議会でも証言した。