もっとも、隈研吾氏は、当初から木材に特化していたわけではない。むしろ「多様さ」が特徴だったように思う。

左から M2、水/ガラス、北上川運河交流館 水の洞窟隈研吾建築都市設計事務所ウェブサイトより

例えば、特異な外観が物議を醸した「M2(1991年)」。“ガラスも水の一種である”とした「水/ガラス(1995年)」。“建築の消去”を試みた「北上川運河交流館 水の洞窟(1998年)」など。それぞれ別人がデザインしたかのように見える。その多様さを、日本芸術院は以下のように表現している。

隈研吾氏の作品は「和の建築」と言われるが、氏は荘厳重厚な造形を第一義的には追わず、地中に埋めて建築を気配で示したり、ガラスを多用して境界を透明化させ、主客未分の意識を提言したりして、既存の西洋的建築像を揺さぶる。

令和6年度日本芸術院会員候補者の決定について|日本芸術院

多様過ぎたため建築家として記憶に残りにくい。安藤忠雄氏の「コンクリート打ち放し」のようなトレードマークが無い。

転機となったのが、「那珂川町馬頭広重美術館」だ。浮世絵師 歌川広重が描いた「雨」を、細い木材で表現した美術館である。外壁だけではなく、屋根をも「木製ルーバー」で覆ったこの建築は、日本はもちろん海外でも大きな話題となった(皮肉なことに、現在この木製ルーバーの劣化が、問題視されている)。これをきっかけに、海外から仕事の依頼が舞い込むようになった。以降、「木材建築」が氏のトレードマークとなる。

「木材建築」をトレードマークとする隈研吾氏と、「木を使いたい」という国内外のニーズが合致した。これが、隈研吾氏への仕事の依頼が絶えない理由である。

巨匠には何も言えない

いまや、隈研吾氏は、押しも押されもせぬ「木材建築の巨匠」である。隈研吾事務所も、年間45億8千万円を売り上げ、400人の職員を抱え、100件のプロジェクトを同時に動かす巨大組織である。