さて、小室本の「暦日表」には1945年4月1日から6月23日までの沖縄戦の記述がない。硫黄島の栗林を賞賛する本だからかも知れぬが、「持久戦」という意味ではペリリューのように一言触れても良さそうだ。が、小室は触れなかった。その理由を筆者は、小室が沖縄を本土の一部と見做していたからだ、と思うのである。
戦後80年が経った。「沖縄は本土の捨て石」ではなかったことは歴とした「史実」である。こうした間違った歴史観はもう捨てるべきだ。「ひめゆり平和祈念資料館」の「説明の仕振り」も「読谷村史」の「書き振り」もそうした観点から、それこそ「書き換える」ことが必要ではないか。
という訳で、筆者は、「話し振り」に難こそあるが(そこは謝罪した)、西田発言に大筋で同意する。発言の主眼が「東京裁判史観からの脱却」にあるからだ。従って、これと「認識を異にする」歴史認識には賛同しかねる。石破首相の下で行う「戦争検証」などあってはならないのである。