筆者には首相のいう「ああいうこと」が何を指すのか不明である。前段からは沖縄戦とも取れるし、後段からは民間人を犠牲にすることともとれるからだ。ともあれ、これを受けて長妻議員はこう述べた。

やっぱりあのこういう色んな認識の違いが出てくるのは、石破さんが仰ったように、政府がですね、きちっとその戦争の総括を国としてしてないんですよ。日本は他の国とは違ってですね、それは本当に私、極めて重要だという風に思いますので、まあ、有識者会議でですね、そういうことをやるという風に報道がありましたけれども、是非あの私はですね、少なくともその保坂正康さんも入れて、きちっとした総括をして頂きたいという風にお願いして私の質問を終わります。

どうしても石破首相に「戦争検証」をさせて、それを政争の具にしたいらしい長妻議員は、なぜか保坂正康氏の名前まで挙げている。米海兵隊員としてペリリューと沖縄の両方に参戦したユージン・B・スレッジに『ペリリュー・沖縄戦記』(講談社学術文庫:2008年8月発行)がある。その解説を保坂氏が書いているのを知ってのことだろうか。立憲は独自に、保坂氏の「戦争検証」を世に問うては如何か。

西田議員は数十年前に訪れたという「ひめゆり平和祈念資料館」(後に展示が変更されたとの報道がある)の「あの説明の仕振り」と述べた。筆者が「ひめゆり平和祈念資料館」の資料を読んだ印象もその「書き振り」だった。それを、冒頭の次の一文を読むなり感じた。

太平洋戦争末期の1945年3月から3か月余り、日米両軍は沖縄で住民を巻き込んだ地上戦を繰り広げました。米軍は、日本本土攻略の拠点として沖縄を確保するため、圧倒的な物量で攻撃しました。日本軍は、沖縄を本土防衛の防波堤と位置づけ、米軍の本土上陸を1日でも遅らせるために、壕に潜んで長期戦にもちこむ持久作戦をとりました。この作戦が沖縄戦を長引かせ、日米の戦死者は20万人以上にのぼりました。その6割に当たる12万人は沖縄県民でした。