しかし同年、順風満帆に見えたハマンを病魔が襲う。脳梗塞の診断が下り闘病生活に入るが、これを克服し、1997/98シーズンにはリーグ優勝は逃したものの、DFBポカール優勝に貢献した。

1998年のFIFAワールドカップ(W杯)フランス大会後、海を渡るハマン。1998/99シーズン、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドを経て、翌1999/00シーズンにリバプールに移籍した。守備的MFとして君臨し、2006年途中まで在籍約7シーズンで191試合に出場。FWマイケル・オーウェンらスター選手を下支えする役割を全うした。

特にリバプール在籍中の2004/05シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝のミラン戦では、負傷を押して途中出場し3-3からのPK戦でも成功。「イスタンブールの奇跡」と呼ばれる3点ビハインドからの逆転優勝を演出した。


クロード・マケレレ 写真:Getty Images

クロード・マケレレ(1991-2011)

2000年代初期のレアル・マドリードは、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、ラウル・ゴンサレス、ルイス・フィーゴ、ロベルト・カルロス、とキラ星の如くスター選手が集い、その後「銀河系集団」と呼ばれる。

そんな中、ボランチとして相手の攻撃を潰し、チームのバランスを保つ役割を一手に担っていたのが、2000/01シーズンにセルタから加入した元フランス代表MFクロード・マケレレだ。その働きぶりは「マケレレ・ロール」と呼ばれ、現代サッカーの戦術に影響を与えたとも言われている。

しかし、当時のフロレンティーノ・ペレス会長はスター選手をかき集めることばかりに執心し、マケレレへの評価は著しく低く、それは年俸にも表れていた。マケレレはチームメイトの後押しも受け年俸アップを求めたものの、フロントが拒否しただけではなく、ペレス会長自らマケレレのテクニックの無さを持ち出しこき下ろした。