2017年、銀座・数寄屋橋交差点に面する「ソニービル」が閉館した。同ビルはモダニズム建築を代表するビルの一つとされ、開館中は主にソニーのショールームとして機能した。ソニービルの解体途中、18年から21年までの間は公園として一般向けに公開された。だがその後、公園跡地でビル建設が始まり、25年1月に「Ginza Sony Park」が誕生した。一等地にもかかわらず規模はソニービルより小さく、テナントを入居させていない。しかもオープンスペースが多いという異例ずくめだ。ソニーはなぜ、このようなビルを建てたのか。そもそもなぜ、建設前の3年間は公園としてオープンしたのか。Ginza Sony Parkを運営するソニー企業株式会社の代表取締役社長、永野大輔氏に取材し、同ビルのコンセプトを聞いた。
実験のために公園として解放
旧ソニービルが竣工したのは1966年。地上8階・地下5階建ての規模で、主にソニーのショールームとして機能した。PlayStationを遊べるフロアや、古くはトヨタ自動車のショールームが置かれたこともあったようだ。白を基調とした色合いで、外観はコンクリートやガラスで構成される。工業材料を使い、木材などを見せない「モダニズム建築」の一つとされる。だが、解体途中で、冒頭の通り3年間は公園として開放した。下記3点の理由があると永野社長は話す。
(1)建て替えのプロセス自体をユニークにしたい
(2)50年お世話になった銀座への恩返しをしたい
(3)新ビルのための検証実験をしたい
「1点目は、”ソニーらしく”ユニークなプロセスで解体したいという狙いがありました。2点目はソニービルが50年間お世話になった銀座に対する恩返しという意味合いです。銀座には公園が少なく、休憩できる場所が少ないなかで、公園として開放することは街にも価値があるのではないかと考えました。3点目は、新しいビルを建てる前に実験をしておきたかった。ショールームではなく公園というコンセプトで場を運営した場合、どの程度の集客力や満足度があるのかなどを検証する目的がありました。」(永野社長)