過去と同じように切り抜ければいい。でも、それがやりにくくなっている。世界の分割はとっくに終わっており新市場は地理的に存在しない。先進国でも高齢化が進み、かつ人口が減っているから国内市場も拡大しない。内外の市場は縮小している。加えてイノベーションの頻度はかなり落ちている。勢いがあるのは情報化分野だけである。でも、それが資本主義の存続に問題を突きつける。
私見を加えれば、経営者の革新性も低下している。起業家を輩出する気運も日本では弱々しい。働く労働者の現場革新力も低下し、マイカンパニーという意識は過去のものである。だから日本では利潤率の回復は一層、難しい。
リフキンもメイソンも次の社会の構想を描こうと急いでいるから、論理が飛んでいてその分、わかりにくいが、方向、主張しようとしていることは理解できるし共感する。
ただ以下の論点は述べておきたい。
資本主義は危機になると、自らの力でそれを乗り越えてきた。回復力、生命力があり、その源泉は、崩壊の論理と同じように内部にある。この回復力は、かつてのマルクス主義者達が、社会主義の論客たちが見逃したものである。1930年代の不況、1970年代の危機、そして2008年の金融危機も乗り越えて、株価だけとはいえ史上最高値である。
大企業の収益を示す一株当り利益(EPS)も最高水準である。これらはすべて情報化の進展の下で生じている。だから現実を冷静に眺めると、資本主義が内的に崩壊するということになっていない。情報化は二人が主張するような内的な崩壊ベクトルではない。
やはり資本主義の崩壊は、W.シュトレークやD.ハーヴェイの指摘する諸々の様相にあるのではないか※2)。確かに情報化はそれらを進める一要因ではあるのだが。
※2)シュトレークは5つの症状をあげている。
経済停滞 オリガーキー的分配 公共領域の収奪 腐敗 グローバルな秩序崩壊
(W.シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』、P.93、2017年、村澤真保呂/信友建志訳、河出書房新社。原著はHow Will Capitalism End?: Essays on a Failing System、2016年、Verso)