メイソンやリフキンの独自性はこの先にある。情報がゼロになったら商品の価値は私達の例では100 ⇒ 90 になるが、これだけでは済まない。ここで物を言うのがIoT(モノのインターネット)だ。コンピュータ、IT技術はあらゆる面で展開する。それが著しいのは労働分野であろう。単純労働も複雑労働もコンピュータを搭載した機械に、あるいはロボットに置き換えられる。その分、労賃の比率は下がる。

つまり情報化が進めば、労賃をはじめとする生産要素の価値は下がり、やがて商品の価値は低下する。その過程の進行を止める、独占とか法規制がなければ必然的に進行する。

しかし価値の低いものを高く売るという独占はここでは考慮されていない。以上の事態を経営者の視点で眺めてみよう。

情報化が他の生産要素にも行き渡って商品価値が100 ⇒ 70になったとする。それは販売数量が増えない限り減収になる。トップライン、つまり会計帳簿の一行目は売上高である。それが減る。経営者にとって由々しき事態であるが、抵抗することもできる。減収でも利益を増やすことは可能だ。現実世界を見れば、減収増益という決算は日常的にある。経営努力については、ここでは触れない。

しかし理論でつめていくと超えられない壁に当たる。利益≒利潤の源泉は労働力にある。剰余価値はそこからしか生まれない。固定資本は価値を商品に移転するだけで増えない。つまり不変資本なのである。ところが、示したモデルケースでも労働部分が減っている。搾取率を倍にすれば?しかし労働者は人間であり、そのように扱うことには限界がある。

要するに、情報化だけでなくあらゆる装置化は利潤 ⇒ 利潤率の低下を招く。これが、リフキンも、特にメイソンが強調する“利潤率の傾向的低下”である。もちろん、これに抵抗することもできる。利潤率の高さを見込める新産業を創出すること、そのために新しい需要を発見することだ。資本主義は危機に陥ったときいつもこれを(つまりイノベーションと新市場の開拓を)やって自らを救ってきた。