メイソンはドラッカーのやや意外な答えを紹介している。
「普遍性を持つ、教育のある人間」(P.199)
それは、知識階級と管理階級が融合した新しいタイプの人間だという。
「狭い分野での研究で得られた専門知識を集めて採用し、広く応用できる人である」(P.200)
メイソンによれば、このような新しいタイプは21世紀のはじめについに現れた。それは「Tシャツを着たブルジョアジーのグループ」だ(P.200)。
日本だとTシャツを着たブルジョアジーというと、かのホリエモンを想起する。かのスティーブ・ジョブスもそうだった。
マルクスの想定した未来の請負人はプロレタリアート階級であったが、メイソンが注目しているのは階級ではなく、個人、それもネットワークでつながった個人だ。
情報という商品
資本主義は商品の売買で成立する。売買を実行する人(経済人)から、対象となる商品に目を移そう。これを考えたのはアメリカの経済学者ポール・ローマー(P.Romer)であり、その考えは“コピー・アンド・ペースト”だ。それは無料の再生であり「限界費用ゼロ」なのである(P.206)。
通常の商品は、使用すれば無くなるが情報商品はそうではない。だから両者を区別するのは、希少性と潤沢・豊富性である。ついでに言えば、主流経済学の基礎理論である限界効用説は商品の希少性を前提にしている。ビートルズの「ラブ・ミ・ドゥ」は、それがiTunesに入っていれば、多くの人が何回でも聴くことができ、少しも劣化しないのである。
オープンソース
情報化社会では、限界費用ゼロの他にも変化が生じた。オープンソースの利用によって、生産手段の共有化が可能になった。お金が一人の人間、あるいはグループに集中して資本となり、それが生産手段に投下され、私的所有のもとに管理される、という常識がくつがえった。
販売も市場を通じてではなくなる。これまでは商品は市場に放出され、そこで初めて価格を受け取る。媒介物として貨幣は必需品だったが、もはやそうではなくなる。少なくとも、価値尺度機能しかなくなる。