と答弁し、個別事件について、検察庁の関係者の国会での参考人、証人としての喚問を拒絶してきた。
法務省や検察庁がそのような対応を行ってきた根拠は、刑訴法47条の
「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。」
との規定だ。この規定を、「公判開廷前」だけでなく「開廷後」にも拡大し、
「但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない。」
との同条但書の規定をほとんど無視し、刑事事件についての国会での答弁をすべて拒絶してきたのである。
そのような条文の文言を超えた対応が行われてきたのは、「刑事事件についての検察当局の資料・情報は、実質的にも秘匿すべし」という考え方が無条件に受け入れられてきたからである。
では、そのように個別の刑事事件に関する情報は秘匿すべきとされるのはなぜだろうか。その理由として考えられるのは、(1)個別の刑事事件の捜査・公判への影響と(2)プライバシーの保護だ。
しかし、森友学園関連事件については、すべて公訴時効が完成しており、捜査・公判への影響は考えられない。また、問題となっているは、財務省という官公庁における公文書の取扱に関する公的な事象であり、プライバシーの保護も問題とはならない。
官僚の世界の無謬にこだわる立場からは、「法に基づいて行われる行政行為に国会議員等が口を出してきても、行政当局は些かも影響を受けない。常に適切な対応が行われる。そこでの国会議員の動きなどに関する資料は、『夾雑物』(きょうざつぶつ:ある物質の中に、不要なものや異物が混入していること)のようなものであり、そのようなものが存在すると、あらぬ疑いを受けたり、国会で野党議員の追及のネタにされたりするだけだから速やかに廃棄すべき」という考え方になるのかもしれない。
しかし、それは、行政行為が、国民の代表である国会の信認を受けた内閣の責任の下に、「国民のために行われている」という原則を蔑ろにするものだ。行政行為が公正・公平に行われているのかを国民そして国会が客観的に知る唯一の手掛かりは、行政に対する国会議員、政治家側の働きかけ等を、正確に記録し、公文書として保存することだ。