20世紀までは、シティはユナイテッドに次ぐ“マンチェスター第2のクラブ”という位置付けだった。飛躍のきっかけとなった出来事が、2004年の新スタジアム「エティハド・スタジアム(竣工当時は「シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム」)」への移転だ。

そんなシティがホームスタジアムとしてきたメイン・ロードは、それまでの「ハイド・ロード」が火災で焼失したために1922年に建設され、1923年開業。建設費は当時としては巨額の約10万ポンド、初期の収容人数は約80,000人で、「ウェンブリー・スタジアム」に次ぐ国内2番目の規模で「北のウェンブリー」と呼ばれていた。

マンチェスター市中心部からも近く、ファン層の中心を構成する労働者階級の住宅街にあったことでサポーターからも親しまれていた。収容人数は、1935年頃の最盛期には約88,000人にまで増えたが、安全面や全座席化により、2003年の閉鎖時には35,150人にまで縮小している。

1934年3月3日、FAカップ6回戦のストーク・シティ戦では84,569人の観客を記録。これはイングランドのスタジアムでの最高記録だ(FAカップ決勝を除く)。

また、第2次大戦中、ユナイテッドの本拠地「オールド・トラフォード」が被害を受けたため、1945年から1949年までユナイテッドとシティがメイン・ロードを共用していた時期もある。その間、ユナイテッドは年間5,000ポンドと入場料の一部をシティに支払っていた。

さらには、シティのファンを公言するイギリスのロックバンド、オアシスが、1996年にメイン・ロードで公演を行い、“伝説のライブ”と語り草となっている。

メイン・ロードは、2003年11月から解体が始まり、2004年に完了。跡地は「メイン・プレイス」として、300戸の住宅地に再開発された。スタジアムのセンターサークルは記念として保存され、「ブルー・ムーン・ウェイ」と名付けられた青い道路が敷かれ、その記憶は生き続けている。