そもそも少額の場合に随意契約が認められる理由は、競争入札のメリットよりも手続上のコストの方が大きくなってしまうので非効率であるという点にある。とするならば、分割による随意契約は、一定額(現状の法令の規定が妥当かどうかは別にして)以上の契約は競争入札のメリットを活かせという法の要請に反することになる。不正・癒着がなかったとしても、競争入札にかかる手間暇、不成立のリスク等に悩む発注機関は、この少額随意契約の使い勝手のよさについ引き寄せられてしまう。
加えて、随意契約への批判を回避するために契約変更によって別案件を接合し、実質的に随意契約同様の発注を行うケースも散見される点も指摘しておきたい。会計法や地方自治法には契約変更の規定がない。規定がないならば法令上の制約はない、ということで本来随意契約の理由が立たない案件において、そのような手法が用いられてしまうのである。
本来であれば随意契約をしたいところ、そのための手続きが用意されていない場面への苦肉の策として利用されることが多いのであるが、分割発注同様、この実務がまかり通ると、不正・癒着のリスクが高まることになる。こういった随意契約回避手段も批判的に眺める必要がある。
冒頭のインタビューでは、必要な随意契約は必要だという当然の事実に基づいて、「随意契約に躊躇するな」というメッセージを読者に送ったが、随意契約をめぐる疑惑や不正が生じないような仕組み作りが重要な前提とならなければならない。立法上、随意契約をもっと使い勝手のよいものにする工夫が必要であると同時に、監視・監督のあり方も見直されるべきだろう。
少額随意契約についてはそもそも監視の対象としない国や地方自治体に設置される入札監視委員会も多いのではないだろうか。公共契約に批判的な識者も結局は応札者数や落札率ばかり見ているのではなかろうか。随意契約を批判的に見ると同時に、必要な随意契約を積極的に認める、そういった目を養うこともこの分野に臨む識者に求められている。