観測隊は基地の中で完全に孤立しており、外部からの援助は望めませんでした。
ソ連から南極までは最低でも船で36日かかり、迎えの船が帰ってくるのもまだ1年先。強い吹雪のため飛行機も飛べません。
そしてチームの中で医学の道に通じているのはロゴゾフただ一人でした。
彼は虫垂が破裂すれば、ほぼ間違いなく死ぬと分かっていました。
残された選択肢は、そのまま死ぬか、自分で手術するかしかなかったのです。
そして、彼は覚悟を決めました。
彼がのちに残した手記には、こう書かれています。
「何もしないで死ぬくらいなら、自分で手術をしよう」
2時間におよぶ大手術の行方は…?
彼の手記には、さらにこう続けられています。
「昨夜は一睡もできなかった。腹部が悪魔のように痛む。
まだ穿孔が迫っている明確な症状はないが、圧迫感のある不吉な感覚が漂っている。
これしかない。唯一残された方法が頭をよぎった。自分で手術するのだ。
ほとんど不可能にも思えるが、腕を組んだまま諦めるわけにはいかない」
そしてロゴゾフは、虫垂の切除手術の綿密な計画を立て始め、同僚たちにも具体的な役割を割り振りました。
彼は2人の助手を指名して、器具を渡したり、ランプを差し向けたり、鏡を持たせる仕事を指示。
また万が一、助手が気絶してしまったときのために、予備の補助を他の同僚に担ってもらいました。
記録では、彼の計画は極めてシステマティックで、自分が意識を失った場合はどうするか、いつどこにアドレナリンを注射すべきか、人工呼吸はどのように行うかまで、こと細かく仲間に指示していたそうです。

5月1日の午前2時、いよいよセルフ手術が始まりました。
すべての工程を自分で行う必要があるため、当然ながら全身麻酔は不可能であり、頭をできる限りはっきりさせておくため、腹部への局所麻酔も最低限に抑えました。