もう一つコントから学んだことは「創造を観察に服従せしめ、観察事実の領域に立脚する」(コント、1830-1842=1928:52)であった。大学院時代から社会調査による実証研究を行っていたから、「観察」の一部に「調査」を位置づけていて、周囲を見渡せば観察したい無数の社会現象が存在していた。

日本の高度成長期の観察

団塊世代の青春時代と重なった日本の高度成長期以降の経済面では、それまでの日本経済よりも大幅な生産力の増大、大衆消費社会を招いた日常的消費と誇示的消費(ベブレン)の拡大、農業の比重低下と反比例した石炭、造船、家電などに特化した産業構造の多様化が進んだ。高度成長の後半期でも家電に加えて、バイク、自動車、食品、薬品、住宅などにおける技術が高度化したことへの関心があった。

並行して政治面でも、三権分立した政治権力の正当性の根拠としての選挙制度が広く浸透して、自民党と社会党(自民党の約半数)による安定した政治構造による国民国家の形成、革新自治体レベルでの政治参加の多様性などが顕在化していて、現在とは異なり私も含めて国民のデモクラシーへの信頼度が高かった。

文化面での観察

文化・スポーツ面でも、史上空前の人口圧力となった昭和22年から24年にかけて誕生した「団塊の世代」を受け皿に、昭和一桁世代や昭和15年までに生まれた戦前派のスーパースターが映画や流行歌の世界で君臨した。

さらにその影響を受けた団塊世代の一部は、新しい音楽文化を創り始めた。スポーツでも文化と同じ昭和一桁世代が野球でも相撲でも水泳でもマラソンでも世界的に活躍した。国民のライフスタイルは日本社会の隅々まで階層を超えて封建性を払拭し、すべてにわたり合理化が貫徹し、都市の規模にかかわらず全国的な世俗化(secularization)も進展した。

流動性の経験と観察

社会システムのタテの側面である階層の移動性も、ヨコの側面の地域社会の流動性もともに激しくなった。それらを包括的にまとめれば、

地域的側面・・・地域移動、地域的流動、定住と流動 階層的側面・・・個人の地位の上昇と下降、安定と格差 国際的側面・・・国際分業、国別格差の拡大、強い国と弱い国、豊かな国と貧しい国