先人に感謝しつつ、何気ない日常を大事にすること。日本人として、どこかの故郷・育った地域出身の人としての自分を愛おしく思いつつ、他者の生活、自らの故郷、時に身を削り、特にタイムリープをしてまでも自らと繋がる命を救い、大切にして、次の時代につなぐこと。未来を紡ぐこと。こうした「懐かしい未来」への姿勢こそ、恐らく彼が意識的に、そしてユーモアを多分に交えて、今の日本人に伝えようとしている「大切な何か」でなかろうか。

3. 懐かしい未来に向けて

さて、4月になって2025年度がスタートした。

個人的には4月で52歳となり、日本としては戦後80年の節目の年の新しい年度のスタートでもある。この毎月のエッセイでも何度か触れているが、私は、明治維新から40年の上昇期(日露戦争あたりまで)と40年の下降期(敗戦まで)の80年、そして、敗戦からバブル絶頂までの約40年の上昇期とそこから40年の下降期という80年の2つの80年の周期を強く意識している。2025年は、まさに底を打って反転すべき年だと理解している。

幕末の厳しい時代、戦後の焼け野原の時期、我々の先人たちは、厳しい現実に打ちひしがれつつも、日本という国、生まれ育ってきた故郷の連続性を意識しつつ、懐かしさを大切にしつつ、新しい未来を紡いできた。鍵となったのはリーダーシップ(始動力)である。

今、劇団四季の「バックトゥザフューチャー」(BTTF)が話題になっているが、まさにBTTFの3部作の第2部で描かれていた未来が今から10年前の2015年の設定だが、空飛ぶ車が空中を行きかい、明らかな悪役のビフが恣意的に世の中を支配する世の中である。空飛ぶ車が話題になっている万博(空飛ぶ車の運行は苦戦しているが)や、現在のトランプ政権を見ていると、現在の状況は、なんだか「懐かしい未来」のデジャブのようでもある。

色々と難題はあるが、桜は美しく咲いて散っていった。