一つは、意識の「座」は前頭葉ではなく感覚を司る後部に重きを置くべきだという点です。
実験では前頭前野が期待ほどには活躍せず、むしろ視覚野など後部の寄与が目立ちました。
これについて本研究の中心人物クリストフ・コッホ氏(アレン研究所)は、「証拠は明らかに後部皮質に有利でした…前頭葉は知性や判断には重要でも、意識的な視覚には本質的な役割を果たしていないようです」とコメントしています。
言い換えれば、「知性」は“すること (doing)”の機能に関わり、「意識」は“あること (being)”の状態に関わるということなのでしょう。
つまり知性や理性の源と考えている前頭葉は文字通りやっているのは主に知性関連のことであり、意識「我アリ」の根源はやや頭の後ろのほうに重点があるという印象です。(※統合情報理論(IIT)が勝ったという意味ではありません)
今回の結果は、私たちがものを考えたり計画したりする能力と、紅葉の美しさをただ感じ取るような純粋な意識体験とが、脳内では別の仕組みに支えられている可能性を示しています。
勝者なき勝負が遺した「決着より大切なもの」

この「勝者なき勝負」は、むしろ意識研究の新たな出発点と捉えられています。
なぜなら、研究そのものが今後のモデルケースとなる画期的な方法論だったからです。
通常、研究グループごとにバラバラの実験系で競い合うところを、今回は大規模でオープンな協力体制がとられました。
実験計画や解析手順は事前に登録され、複数のラボで再現可能なよう標準化され、結果のデータは誰もが検証できるよう公開されています。
理論の提唱者自身が一歩引き、データが語るままに従おうという透明性と中立性が貫かれたのです。
「今回の結果は、たとえ確立したアイデアでも厳密にテストされねばならないことを思い知らされる謙虚な教訓です。本気で意識を解明したいなら、我々はデータに主導権を握らせねばなりません」とメローニ氏は述べています。