フランス留学時の高い評価、JFL優勝、J3月間MVP、SNSでの成功は、彼の才能と努力の結晶であり、特に栃木シティでの活躍はキャリアの再起を象徴している。
その原動力となったのは、川崎F時代の屈辱、J2での不振、そして地域リーグへの“都落ち”などの挫折を嫌というほど味わっていることだろう。だからこそ、栃木シティの大栗崇司社長に対しては感謝の言葉を口にしている。
ちなみに、栃木シティのホームスタジアム「CITY FOOTBALL STATION」は、大栗氏が社長を務める日本理化工業所によって建設されたサッカー専用スタジアムで、収容人数は5,085人と規模は小さいものの、J3クラブとしては珍しく民設民営によって運営されているスタジアムだ。このあたりにも、クラブとしての伸びしろを感じさせる。
MVPを受賞した際の公式コメントで「サッカー諦めなくて良かった」と述べ、苦しい時期を乗り越えた経験が現在の活躍につながっていると語っている田中。さらにSNSでは2025シーズンの目標に「J3優勝」と「栃木SCには絶対負けない」ことを掲げ、栃木シティを「栃木県で一番勢いのあるチーム」にすると宣言。チームはその言葉通りの好調ぶりを見せている。
田中のサッカー人生は、早熟な才能が認められた10代、海外移籍の失敗、Jリーグでの苦闘と低迷、そして栃木シティでの再起という、まるで映画のような劇的な展開を辿っているといえよう。ピッチ上でのキレのあるドリブルとゴールパフォーマンス、SNSでのユーモア溢れる発信を通じて、彼はサッカーと地域を盛り上げる存在となっている。数々の挫折を乗り越えた田中のサッカー人生は、多くのファンに感動と勇気を与えると同時に、Jリーガーの生き方の1つを提示しているようにも思えるのだ。