基本的に、中欧・東欧のようなところには、民族分布とも一致した歴史的に正しい固有の国境線、と言えるようなものは存在しない。国際的に認められている国境線はあるだろうが、それはあくまでも現在有効な諸国の多数の承認行為によって支えられているという意味であって、絶対不変の線が地面の上に描かれているわけではない。「力による現状変更はいけない」というのは、だからこそ領土問題は武力に訴えず話し合いで解結すべきだ、という意味であって、絶対不変の国境線を確定させることに成功してある、という意味でもない。
現代では、「チェンバレンのように行動しない」とは、ヒトラーに「宥和政策」を採らない、とにかくヒトラーと対決し続けるのが正しい、という意味で解されている。それは、プーチンに「宥和政策」を採らない、とにかくプーチンと対決し続けるのが正しい、という意味としても用いられている。
だがミュンヘン会談の教訓とは、ただただとにかくヒトラーとプーチンと最後の最後まで戦争をする、ということしかないのだろうか。
「宥和主義はダメだ」という精神論を離れて、システム論の観点から、ミュンヘン会談の教訓を引き出すことなどは、できないのだろうか。
システム論の観点からは、ミュンヘン会談がさらなる欧州の危機を救えなかったのは、地域的な安全保障システムが欠落しており、再確立もできなかったからだ、という答えになる。
結局、ズデーデン地方とポーランドを、ドイツの手から引き離したのは、腰抜けチェンバレンがいなくなった、といった精神論の話ではない。
ズデーデン地方とポーランドを、ヒトラーが手放したのは、ソ連がヒトラーに戦争を仕掛けられた後に反撃したからであり、アメリカが日本に奇襲攻撃を仕掛けられた後に欧州でも戦争に参加したからだ。
そしてチェコスロバキアとポーランドが戦後に独立国として存在し続けられたのは、ソ連がワルシャワ条約機構を、アメリカがNATOを作り、両者で勢力均衡の考え方に基づく安全保障システムを確立して維持したからだ。冷戦終焉後は、係争が起こる前に、旧ワルシャワ条約機構からNATOに、前者の消滅を介して、配置換えで加盟することができたからだ。