ニュートンが生きていた時代は、一般の人々は物体の動きが何らかの「力」によるものであるということを考えてすらいませんでした。

当時の人々の感覚では、水桶を持ち上げるのに必要なのは「労力」であり「物理学的な意味の力」や「仕事量」によって持ち上がるとは考えていませんでした。

アリストテレスも天体はエーテルと呼ばれる物質で構成されており、円運動をしているのは重力や遠心力といった「力」のせいではなく、エーテル自身に自然に円を描く性質があるからだと考えていました。

今では誰もが当たり前に口にする「物理学的な力」という概念は、当時は当たり前ではなかったのです。

しかしニュートンは違いました。

ニュートンは一般の人々が信じていなかった「物理学的な力」の存在を確信しており、ゆえにラテン語の原典で記された第一法則は「あらゆる物体の運動は外部から働く力で変化する」としていたのです。

なのになぜ現在の私たちは第一法則について「力の働いていない物体は……」と、およそニュートンの意向を無視するような表現を使っているのでしょうか?

研究者たちは些細なニュアンスのミスが原因と述べています。

ラテン語においてニュートンは「運動は外力によって強制される限りにおいてのみ変化する」と記していましたが、1729年にアンドリュー・モットが英語に翻訳する際に「限りにおいてのみ」“nisi quatenus(英語ではexcept insofar)”という部分を「でなければ」“unless”としてしまったのです。

これにより原典のラテン語では「運動は外力によって強制される限りにおいてのみ(except insofar)変化する(つまり物体の変化には力が必要だ)」との力強い主張が、多くの人々の目にする英語版では「運動は外力によって強制されていなければ(unless)変化しない(つまり力が働かな物体には変化がない)」と控えめかつ、循環論法と誤解を誘発する表現になっていたのです。