もっとも紙の手形の機能は電子記録債権という型で電子的に継承されている。法律が2007年に成立し、手形取引の受皿になっている。

「電子記録債権は、法的構造の点では約束手形に類似している。しかも、電子記録債権では、有価証券である手形と共通する過程の制度が設けられている。」(大塚前掲書、P.27)

費用の負担、分割可能、印紙等が不要などのメリットがある。さらに譲渡もできる。無くなるのは手形という紙券が流通するという実態である。

“でんさいネット”と略称される取引センター(株式会社全銀電子債権ネットワーク)は、全銀協が運用している。ここに登録している債権を銀行に頼めば“割引”に応じてくれるから、手形割引は電子の型で継承されている。

現状では“でんさい”に持ち込まれる手形総額も少ないが、手形割引に付されるのはさらに少ない。全体でみても銀行の貸出債権の1%以下である。つまり貸付形態としては既に過去のものになっている。だから、事態は今回の法律の変更に先行しており、実体的にはほとんど影響はない。問題は質的な面だ。それはどういうことか。

国家紙幣

中央銀行券が二つのルーツを持つことは既に述べた(『金融の原理』)。新しい状況下では、紙→電子で水路づくりは行われるものの、紙券が流通するという可視的な土台は消滅している。このことは、中央銀行券の国家紙幣の性格を強めることになるだろう。逆に言うと、信用証券が内在的に持つ過大発行への自己抑制が薄まることになる。

国家紙幣の制御は国家の専権であり、緩めようと思えばいつでも出来るし、量的制限もないのである。信用紙幣であれば商品の取引量(実物経済)による制限がある。そもそも、手形は取引からしか生まれないが、国家紙幣はそうではない。ここでは、エンゲルスを引用しよう。

「不換銀行券が(不換の紙幣のこと:注筆者)一般的流通手段になりうるのは・・それが国家信用によって支えられている場合だけである。」(同上、3巻33章、P.938)