荷物を受け取った方が発行するか、発送した方が発行するかで為替手形はさらにふたつの形式に分かれるが、貿易の発展を支えたのは後者で、それは荷為替という型で国際貿易に定着して今日に至る。

手形が廃止されるといっても、国内での話であり外国貿易で使用される荷為替手形は対象ではない。これは国際法が取り扱うもので国内の法律だけで勝手に無くしてしまう訳にはいかない。もちろん電子化の進展で、信用状などとともに電子版の荷為替手形が利用されるようになっている。

手形から銀行券

手形の信用性は銀行券によって引き継がれる。その契機となるのが手形割引である。手形の受け手が手形の決済日より前に現金化を望むなら、それを銀行に持ち込む。銀行は期間に見合う利息をとって、これを買い取る。これを手形割引と呼ぶが、このとき銀行の渡すものが銀行券である。現象としては商業手形が銀行券(手形)と置き換わる。『資本論』を引用しておこう。

「彼ら(生産者と商人:注筆者)の流通用具である手形は、本来の信用貨幣である銀行券等々の基礎をなす。銀行券等々は貨幣流通に基礎を持つものではなく、手形流通に基礎を持っている」(3巻25章、P.695、2021年、新日本出版社)

この銀行券が歴史の発展の中で統一・集中されていく。いわゆる発券統一過程であり、各国の中央銀行がこれを引き受け、かくして、たいていの国では単一の銀行券が流通することになった。もっとも中央銀行券の歴史には、それが金と交換された時代とそうでない時代がある。

ここで重要なのは、今日、私達がお金として意識せずに使用している中央銀行券の流通には、商業手形の流通という土台があったということである。手形は債務証書であり、それを引き継いだ銀行券もそうであり、それは中央銀行券になっても変わらない。日本銀行券の発行残高はこの銀行のバランスシートの負債として計上されている。

中央銀行券の存在の基礎に手形があるとすれば、手形の物的消滅は中央銀行券という物的存在にもなんらかの影響を与えるかもしれない。