さまざまなメディアで取り上げられているように、注目すべきは「サッカーしか知らない人間になりたくない。いつも好奇心を持って生きていたい」という名言を残している点だ。多くの元選手が指導者や解説者として残るなか、中田はそうした“サッカーに関わる仕事”に興味や情熱を持てなかったようだ。彼にとってサッカーとは「プレーするもの」であり、それが不可能になった時点で新たな情熱の対象を探す必要があったのだろう。

辿り着いたのは日本
引退後の中田は世界中を旅し、3年で100か国以上を巡ったと言われている。そしてこの壮大な旅路、新たな情熱の対象を探す長い旅の末に辿り着いたのが自国・日本だった。
彼がとりわけ関心を寄せたのは日本酒。イタリア在住時にワイナリーを訪れたことが日本の酒蔵への関心につながった。彼の美意識からくる好奇心は単なる趣味の域を超え、2015年には『JAPAN CRAFT SAKE COMPANY株式会社』を設立するに至る。中田は代表取締役として自ら全国の酒蔵を巡り、杜氏たちと対話を重ねながら日本酒ブランド『N』の立ち上げや『CRAFT SAKE WEEK』というイベントの開催など、日本酒文化を国内外に広める活動を精力的に展開している。
土地や人によって変わる酒の味わい、気候や水質に左右される繊細な製法。これらは中田が魅了されたサッカーの多様性や創造性、そして微妙な技術の差異と重なる部分が多いと推測される。彼の酒造りへの取り組みは単なる引退後の事業ではなく、イタリア時代からの美的探求の延長線上にあるもののように思われる。同様に茶文化や伝統工芸への関心も、彼の一貫した美意識から生まれた自然な展開なのだろう。

美しく生きる
中田がなぜ29歳という若さで潔く引退できたのかを理解する鍵は、その美意識と情熱の関係にある。彼にとってサッカーとは“美を追求する表現の場”であり、その美しさを感じられなくなった時、つまり情熱が尽きた時、彼は迷いなく次へと進む決断ができたのだ。重要なのは記録や勝利ではなく、プレーの質と自分自身の感覚だった。