ところが、3年後に富永健一『社会構造と社会変動』(1987)で、「高齢化を家族役割および組織役割(職業役割)における役割縮小としてとらえる考え方」(富永、1987:315)として本書の特徴を紹介いただいた。しかも「役割縮小」に代わって、「地域社会役割といったものが創造されれば、それは高齢者の心の支えになり得る」(同上:318)というまとめが添えられていた。
『近代化の理論』でも言及
さらにこの改訂版ともいえる1996年に刊行された『近代化の理論』でも、「高齢者問題にとって、高齢者と地域社会との結びつきということが、不可欠のテーマになる」(富永、1996:486)や「社会システムのなかで自分の占める場所がなくなる・・・・・・ことに、高齢者の最大の悲劇があるのです。地域社会役割という発想は、この問題への解決として考え出されたものです」(同上:490)と評価していただいた。これらによって、「老人問題史観」はかなり払拭されたように感じた。
『社会学原理』への「書評論文」が縁
かねてより私淑していた富永教授にこのように取り上げられたことで研究の方向性は正しかったと実感できて、その後の研究への意欲がかきたてられ、10年後の博士論文『都市高齢社会と地域福祉』(1993)の刊行に結びつく。
この時までお会いしたことはなかったが、先生のいくつかの著書を学び、その代表作である『社会学原理』(岩波書店、1986)について、『現代社会学』(1987)に8頁の「書評論文」を発表したという縁はあった。その「書評論文」は、富永「理論社会学」を活かしながら、自分のテーマである高齢化という「社会変動」への応用を目指そうとする内容であった。
謹呈した『高齢化の社会設計』を通したこのような運と縁により、富永先生とはその後さまざまな大きな縁が生まれた。それは2003年の『高田保馬リカバリー』と高田古典三部作の復刻につながってくる。まことに縁とは不思議なものである。