もっとも、これが“別種になる”ほどの極端な変化に至るかというと、それにはさらに長い隔離と強力な選択圧が必要になるでしょう。

人類の完全な分岐が起こるには数万年スケールの時間と断絶が必要だと考えられるからです。

まとめ:アフリカに残った人々の忘れられた物語

まとめ:アフリカに残った人々の忘れられた物語
まとめ:アフリカに残った人々の忘れられた物語 / Credit:Canva

今回の研究から浮かび上がったのは、アフリカ大陸の“ど真ん中”ともいえるサハラでも、独自の系統を受け継ぎながら暮らしていた人々がいたという事実です。

タカコリの2名は、サブサハラ系やヨーロッパ、中東系の人々と明らかに異なる北アフリカ固有の系統を主に持ちつつ、レバント由来のわずかな混血も示すことで、微量のネアンデルタールDNAを引き継いでいました。

しかしその割合は欧州やアジアの人々よりかなり低く、サブサハラ系と比べても異質なバランスを保っています。

また、タカコリの遺伝情報はモロッコのタフォラルト遺跡(約1万5,000年前)の人々とも強い近縁性を示しており、サブサハラとは等しく距離が離れていることもわかりました。

このことから、湿潤期にサハラが“緑”だったとしても、南北間の人口移動や混血が想像ほど活発ではなかった可能性が高まります。

わずかに確認されるレバント系統は、外部から技術や知識が伝わった証拠かもしれませんが、大規模な移住というよりは“文化拡散”に近い形での影響と考えられます。

実際に考古学的資料でも、家畜や食糧生産が外部から一気に置き換わったというより、既存の狩猟採集民の文化の中へ少しずつ溶け込んだとする見解があります。

サハラがバリアとして、あるいは緑豊かな時期でも地形や社会的要因などによって大きな交流を阻んだと考えると、これまで断片的だった人類史に大きな納得感が生まれるでしょう。

研究者たちは今後、サハラ地域の古代DNAを増やし、牧畜の起源や普及、そして在地の人々がどのように文化を受け入れ変容してきたのかを、さらに精密に描き出すと述べています。