マスコミが印象操作を狙った報道の責任を取ったことがあっただろうか。そもそも責任を取れるのだろうか。「うまずして」報道では、いずれも不十分な状態のまま8カ月が経過した。他社の報道では、朝日新聞が連載『プロメテウスの罠』で報じた原子力災害についての数々の嘘や大げさな表現が10余年も放置されたままだ。
口先だけの客観報道から身を守る時代
日本新聞協会の新聞倫理綱領は
新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
と定めている。
しかし実際には、立場や信条に左右された主観的な報道が氾濫している。この出鱈目を覆い隠すため、倫理綱領に客観的報道の遂行を掲げているかのようだ。
コロナ禍以来、マスコミ各社は陰謀論に批判的な立場を取り、SNSが陰謀論や大衆扇動の源泉であるかのような報道もあった。しかし陰謀論による大衆煽動を圧倒的な伝達力で行い、ビジネスにしているのがマスコミといったありさまだ。
マスコミの天下り組織と化しているファクトチェック団体が、チェックの対象から新聞やテレビ番組を外しているのもあり、私たち一人ひとりが信用ならない報道から身を守らなければならなくなっている。身を守る手段のうち一つが形態素解析(統計解析)だが、常に、誰もが、即座に行えるわけではない。
仮に私や他の何者かが客観的な手法で報道を検証して異を唱えても、マスコミに対抗する別のマスコミから素早く情報を発信しなければ、嘘や歪曲に到底太刀打ちできない。
公害を垂れ流しながら利益を得ている企業に対して、どこでどのような被害が発生しているか手製のメガホンで触れ回るようなものだったとしても、私たちは嘘や歪曲報道に向ける武器を一つでも多く手にしなければならない時代に生きている。
すべての報道を真に受けていたら陰謀論者に堕ちかねないだけでなく、原発事故後の報道や旧統一教会追及報道で人生を狂わされた人々がいるのだから、統計や解析を大げさすぎると言ってはいられない。