■「電話が鳴ると鹿児島県民いなくなる」

文化教育の一環で、中学校に薩摩狂句を教えに行った経験のある平澤先生。しかし、現代では鹿児島弁で話す若者はほとんどおらず、たとえ読めたとしても、薩摩狂句を「自分で作る」のは、非常にハードルが高いという。

その背景について、平澤先生は「私は今年、81歳を迎えます。私が小学生の頃から、学校で『鹿児島弁を使わないで、標準語で話すように』という指導が始まりました」と、振り返る。

その結果、70年以上の時を経て、徐々に鹿児島弁の「後継者」が減少していったのだ。

また、鹿児島弁を象徴するエピソードとして、平澤先生は「昔は就職列車(集団就職)と呼ばれるものがあり、学校を卒業した子供たちが企業や店舗に集団で就職するケースがありました」「すると、全国からやって来た子供たちがひとつの場所に集まるわけですが『電話の音がしたら、鹿児島県民はいなくなる』と言われていました」と、語り出す。

その理由は「会話にならないから(電話に出るのを避ける)」とのことで、如何に鹿児島弁が特殊な方言であるかが窺えるエピソードではないだろうか。

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(画像=『Sirabee』より引用)

そんな鹿児島弁を話す人が減っているとなれば、それは即ち、薩摩狂句の詠み手が減っているということ。

今回、X上で薩摩狂句が注目を集めた件について、平澤先生は「鹿児島の、薩摩文芸として薩摩狂句を詠んだり、作ったりする人が増えてほしいですね」「薩摩狂句の世界は高齢化しており、若い人がなかなか入ってきません。若い方々に入ってほしい気持ちでいっぱいです」と、語る。

続けて「鹿児島弁そのものを使う人が少なくなっているため、絶やしたくない、という思いも強いです。ぜひ薩摩狂句を興味を持って、楽しんで、この世界に踏み込んでほしいと思います」と、呼びかけていた。

今回の件を受け、鹿児島弁に込められたパワーや魅力に、改めて気づいた人は多いのではないだろうか。