■鹿児島弁バリバリの強面、と思いきや…

今年で81歳の誕生日を迎える平澤先生は、鹿児島市に在住。「薩摩狂句」に関するテレビ番組にも多数出演しており、現在は公民館などで薩摩狂句の講師を務めているという。

誤解を恐れずに白状すると、「鹿児島弁を話す80歳の男性」と聞き、記者は非常に緊張していた。

「幕末最強」と名高い薩摩藩をルーツに持つ高齢男性ともなれば、バリバリの鹿児島弁を話し、いったん怒らせると「チェストー!」と叫び出す、絵に描いたような薩摩隼人では…という、偏見に塗れた不安に駆られていたのだ。

しかしいざ話してみると、平澤先生は綺麗な標準語で話す、温和で穏やかな老紳士であった。言葉のイントネーションから、方言や訛りは全く感じられず、「この人が本当に薩摩狂句を詠むのか…」と、驚いてしまったほどである。

文献によると、薩摩狂句が初めて世に発信されたのは1908年(明治41年)、『鹿児島新聞』(現、南日本新聞)の記事に掲載されたのが初めてだという。

そのルーツについて、平澤先生は「熊本に『肥後狂句』というものがあり、『鹿児島にも方言があるから、やってみたらどうか』と考えだしたのが、薩摩狂句の始まりと言われています」と、説明している。

平澤先生曰く、鹿児島弁の使用を基本とし、日常生活の中で起こった出来事を皮肉に、時にはユーモアを交え、時には穿ち、人間の喜怒哀楽や人情の機微を五七五で表現するのが、薩摩狂句の特徴だという。

そんな薩摩狂句の象徴として、平澤先生は「木強漢 刀ん尖端で、髭を剃っ」という作品を挙げる。読み方がサッパリ分からない…という人が大半かと思うが、こちらの句は「ぼっけもん かっなんさっで、ひげをそっ」と読むのだ。

木強漢(ぼっけもん)は「うつけもの・愚か者」といった意味で、「日本刀の先端を使って髭を剃る」という、豪胆な人物を詠った句。この「思いついても、まさか本当にそんなことをするとは」という内容が、平澤先生のお気に入りだという。