ただし実際には、当時のアメリカは保護主義をとるには成長し過ぎていた。繁栄の陰で、貧富の格差は甚大になっていた。欧州から世界に広がり始めていた社会主義の波は、20世紀になる頃には、アメリカにも到着し始めていた。その世相をとらえて、合衆国憲法修正16条が1912年に制定され、それを受けてアメリカに所得税が導入されるようになったのはようやく1913年である。それまでは主に関税が、連邦政府の活動を支える仕組みであった。

共和党系候補者が分裂した1912年大統領選挙で当選したウッドロー・ウィルソンは、南北戦争以降ようやく二人目の民主党大統領で、南部出身者としては南北戦争後初めてであった。所得税導入は、ウィルソン政権の時代だが、第一次世界大戦に参戦し、国際連盟設立をはじめとする国際秩序を刷新する案を数多く提唱した大統領としても知られる。この時に、20世紀のアメリカが作られ始めた。

もっとも国際連盟加入を拒絶した共和党主導の議会は、伝統的なモンロー・ドクトリンへの回帰を目指していた。ウィルソン以降、共和党大統領が続いた。アメリカの外交政策は変化しないかのようにも見えた。しかし世界恐慌が勃発し、フランクリン・D・ローズベルトが大統領に就任してから、民主党優位の時代が到来するようになる。ローズベルトの副大統領から昇格して大統領になったハリー・トルーマンは、アメリカの外交政策を大幅に刷新した。NATO創設などの安全保障面での外交実績が有名だが、GATT創設を通じた国際的な自由貿易体制の樹立にも尽力したのがトルーマン大統領であった。それ以降、共和党大統領が生まれても、自由貿易体制の維持を尊重して、低率関税を維持するのが、アメリカの外交政策の基本となった。

しかし前回も書いたように、このアメリカの政策は、冷戦勃発の事情と切り離しては理解できないだろう。自由主義陣営が、護送船団方式で、共産主義陣営に勝ち切ることが必要だった。その観点から、自由主義諸国の間で、低率関税を前提にした自由貿易を維持して経済成長を図るのは、冷戦を勝ち抜きたい気持ちでは一番強かったアメリカにとっても、合理的な政策だった。