私は政治思想史に関心を持っており、政策論を扱う際にも概念構成のところからこだわりを見せたりする。たとえば「紛争後の平和構築」の国際社会の政策などを検討する際に、「国家主権の思想」の概念史などが頭に入っていると、問題意識を鮮明にするのに役立つ。

ただ、こうした考え方は、進歩史観の強い学問では、あまり受け入れられないだろう。たとえば経済学だ。経済学の理論は、日進月歩と考えられているため、今日の理論は必ず昨日の先を行く、とみなされる。100年前の議論は、古すぎてゴミ同然だ、と考えるのが、普通の経済学者の方だろう。

政治思想史の考え方は、究極的には人間の能力には限界があり、進歩に見えるものも変化や傾向にすぎない、と捉えてしまいがちである。たとえば自由主義思想の行き詰まりは、100年前にもあった、今はそれが繰り返されている、といった具合に考えてしまいがちである。

経済学者の方からしてみると、トランプ大統領の高率関税政策は、過去数十年にわたる経済学の成果を全否定するようなものに見えるだろう。この事情を理解するには、「トランプはバカだ」とつぶやくしかない。それ以外の方法がない。

トランプ大統領 ホワイトハウスXより

ところが政治思想家は、トランプ大統領のような考え方は、かつてもあった、と考えがちである。もちろん、そうは言っても、全く同じということはないので、どのように同じ傾向が出てきたのかを考えつつ、重大な相違についても考えるようにはする。だがせいぜいその程度では、およそ進歩と言えるほどのものではない。

トランプ大統領は、関税政策について、19世紀末の大統領マッキンリーへの憧憬を繰り返し表明している。大統領就任前の下院議員時代に、それまで平均20%以上が当然だったアメリカの歴史の中でも際立って高い関税率である平均50%となる関税政策を取り入れた「マッキンリー関税法」で有名な人物だ。

経済学的な発想では、130年前に大統領になった人物の政策に憧れる、というのは、ありえないことだろう。確かに当時の世界経済・アメリカ経済は、現在のそれらと比して、あまりに異なっている。いずれにせよすでに過去の古い経済理論は、劣っていたことが証明された経済理論のはずである。