そうではなくもっとベタに、学べばみるみる国際政治がわかり「最強のポジション」を見つけられる的な感じで、文字どおりの地政学が復権したのはゼロ年代の後半だろう。今やコンビニやキオスクでも、『読めば〇〇できる地政学入門』式の俗っぽい本が置いてあるのは、珍しくない。

当時は中国のGDPが日本を猛追していて、追い抜くのは2010年である。日本が世界を動かせる余地がむしろ乏しくなってゆく時期に、地政学の用法が「ぼくらを拘束するもの」から「使いこなせるもの」へと変わったのは、いま思うと不思議の感もある。一種のコントロール幻想かもしれない。

Illusion of control – Wikipedia

90年代からゼロ年代といえば、おなじみの歴史教科書問題の季節でもあった。「歴史修正主義」という用語が、極右やネオナチと同義なくらい絶対悪の代名詞として定着した時期だけど、あたりまえだが歴史の学説を改めること自体が、悪い営みであるはずはない。

問題は、歴史についてもまた、現在の自分たちを拘束し限界づけるものとしてではなく、いまの都合にあわせて切ったり貼ったりできちゃう、自由なコントロールの対象に変えてしまう態度にあるのだ。政治的に不利になりそうな昔の挿話は、記録から抹消で、みたいなのが典型である。

しかし、コントロールできる(と見なされる)範囲が広がることは、そもそもいいことなんだろうか。楽しかったり、得をしたりするんだろうか?