(*)推敲中に友人が送ってくれたが、古谷氏は以下のとおり、「どうぞお大事に」(=お前は病気だ)と揶揄するツイートもしていたそうだ。これ以上の「障害者差別」の傍証も、なかなかない。

古谷氏は同じ揶揄を、 別のツイートでも繰り返している

本noteの読者は、私が「言論には言論で戦う」ことを重視し、それを自由な社会の条件と見なしてきたことをご存じだろう。そんなことは本来、常識だったのだが、2020年代初頭の長いステイホームの下、SNSでの下品な罵りあいに言論人も呑まれる中で、すっかり自明ではなくなっている。

むしろ今は、自身の誤りが事実により反証されても訂正せず、逆に思い余って暴言を浴びせた類の批判者をスラップ訴訟で脅して、まっとうな批判まで委縮させようとする識者が増えている。コロナ、ウクライナを経て「専門家」の間に広まったこの悪習については、これまでも批判してきた。

戦時に誤りを発信した専門家に「軍法会議」はないのか|Yonaha Jun
8月15日の終戦記念日にあわせて、前回の記事を書いた。実際には兵站が破綻しているのに「あるふり」で自国の戦争を続けさせたかつての軍人たちと、本当は(信頼に足る)情報なんて入ってないのに「あるふり」で他国の戦争を煽り続ける専門家たちは、同類だというのが論旨である。 とはいえまさか、ここまで即座に「そのもの」の事例が飛...

しかし、なにひとつ言論では反駁せず、Xで露骨な脅しを振りかざす古谷氏が行っているのは、もはやコロナやウクライナですらない、単なる個人のメンツもスラップ訴訟で解決しようと謀る、近年の動向の「矮小化」と呼ぶべき振るまいだろう。

私は今後とも「言論には言論で」の精神で堂々と戦うが、もし古谷氏が実際にスラップ訴訟の挙に出るなら、その不当性、および上記した私への名誉毀損の疑惑に関して反訴する。

その際は事実を広く公開し、読者に支援をお願いすることもあるかと思う。批判と対抗言論が自由に行われる社会を守るために、ぜひ力を貸してくださるなら幸いである。