もう流行らない教科書問題を除くと、歴史学者に「センモンカとしてご意見を…」とお声がかかる機会はありません。でも、なら歴史の専門家は黙っていればいいのか? 危機の前には名前も知らず、つまりどれほど信頼できるのかも本当は不明な、他の分野の「TVで見た学者」のリツイートだけして?
イエスと答える立場も、実はあるとぼくは思ってるし、多くの国がその選択をしたとも言えます。要は「歴史に目を向ける暇なんかないので、現在だけに全神経を集中させ、それ以外は考えない!」というわけ。それで、結果はどうでしょうか。
不確実性が増す世界にあって、與那覇さんは「ウクライナ戦争の最大の教訓は、全人類に共通のポスト冷戦史なるものは実はないということ。ロシアにはロシアの歴史認識があり、西側はそれを覆せない。中東の紛争の見え方も、時間の尺度をどう取るかで変わる」。
加えて、評論家・加藤典洋の「敗戦後論」(97年)を例に「いかにグローバルに歴史を学んでも、海外からは『日本人だから歴史がそう見えるんでしょう?』と言われることは避けられない。立場性を自覚しない歴史に意味はない」。
段落を改変 『敗戦後論』は、単行本が97年
お金と武器とをウクライナに注ぎ込むことで、彼らがロシア軍をすべて国境の外へ駆逐してくれるなら、たしかに「ロシアの歴史認識」なんて気にする必要はない。言い換えると、西側がこれまでウクライナに送ったお金や武器は、歴史を無視するためのコストだった。
だけど、そうはならないことを、もう誰もが知っているんですね。