
「スピードはセレッソの中でもずば抜けて速い」これは、2016年当時セレッソ大阪の監督兼強化部長だった大熊清氏(現・京都サンガゼネラルマネージャー)が、MF大山武蔵を獲得した際に語った言葉である。
現在J2のカターレ富山に所属する大山は、北の大地・北海道で育ち、高校3年生までほとんど無名の選手だった。当時所属していた札幌大谷高校では、3年次の2016年に夏の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場。2回戦で戦った星稜高校(石川県)との試合では、ボランチとして相手DF陣を置き去りにする鋭い突破からPKを獲得し、自ら沈めて名門校相手に先制点をマークした。
この活躍で一気にその名を轟かせた大山は、スピードを買われてプロ入りすると1年目のセレッソ大阪U-23でJ3リーグ25試合に出場。学びを得る充実の日々が続いた。しかし、順調な滑り出しに思えたプロ生活2年目の春、突如サッカー人生の歯車が狂い始める。胸部痛を感じて受診した結果、「急性肺血栓塞栓症(PTE)」と告げられたのだ。
この病気は、血栓が肺動脈を塞ぐことで発症する循環器の疾患で、肺の血流が急激に遮断され酸素の交換を妨げられることから息切れや胸部痛といった自覚症状が出現する。慢性化すると命に関わる重篤な病だ。
2019年には病状が更に悪化し、国の指定難病の1つ「慢性血栓塞栓性肺高血圧症(CTEPH)」との診断を受ける。選手生命だけでなく、命をも左右する状況だったという。
このインタビューでは、見事競技復帰を果たした大山に、セレッソ大阪への入団や病気発症時の状況、復帰後の手応えなどについて訊いた。

ボランチからサイドへ
ー札幌大谷高校時代にはボランチが主戦場でしたが、プロに入ってからは左サイドハーフや右サイドバックにポジションをコンバートしています。どのような経緯があったのですか?