なんで、そんなことになるのか。今日につながる漱石論の第一歩になったのは、江藤淳のデビュー作だった『夏目漱石』(1956年)ですが、そこでは朝日新聞に入社する際、漱石がこう言ったことが注目されています。
大学では講師として年俸800円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて800円では到底暮せない。……いかな漱石もこう〔非常勤のかけ持ちで〕奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。
酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。
『決定版 夏目漱石』新潮文庫、122頁 新字体に改め、段落・強調を付与
江藤の皮肉なコメントいわく、要は書かないとメンタルを病んでしまうと言って作家になった漱石は、実際には「自らの作品が――そして自らに提出した疑問が、新しい神経衰弱を彼に強いるほどのものであることに気づいてはいなかった」。
いま、いくら仕事が忙しくても隙間に「SNSをやめられない」って人は多いですよね。まさに「何か書かないと生きている気がしない」から、そうなるわけですけど、でも傍から見たら、そこまで何か書こうとすること自体がメンタル病んでるんじゃね? って事態でもある。
……まぁそうツッコんだ江藤本人も、病んだように書きまくる「おま言う」だったのですが。
なぜ人はそこまで「書きたい」かというと、①言葉にすることで、世の中の複雑さや、にわかに納得できない物事を理解したい、「考えたい」という欲求がある。ついでに、②それを読ませて「俺って ”考えてる人間” だぜ!」と周りにPRしたい欲もある、このnoteのように(笑)。