長友佑都 写真:Getty Images

3月20日、2026FIFAワールドカップ(W杯)北中米大会アジア最終予選のバーレーン代表戦(2-0埼玉スタジアム2002)に勝利し、3試合を残して世界最速でW杯本大会出場を決めたサッカー日本代表。

同試合後、森保一監督にポリバケツの水を頭から掛ける手荒い祝福をし、盛り上がるイレブンやスタッフの中ひと際目立っていたのが、この日筋肉痛でベンチ外だったもののスタンドで勝利を見届け、主将のMF遠藤航から締めのマイクを託され「みんなブラボー!」と絶叫したDF長友佑都だ。

38歳の長友は、日本代表として5度目のW杯予選突破を経験した。過去4回と異なるのは、ここまでの最終予選の全7試合でベンチ外である点だ。2010年南アフリカW杯から2022年カタールW杯までの4大会では全15試合全てに先発出場。日本代表キャップも142試合(現役選手で2位は68試合の遠藤)。既に生きたレジェンドとなった感のある彼に対し、例え戦力になっていなくとも「長友は不要」と出来ないでいるのが実情だ。

W杯を戦う日本代表の歴史を紐解くと、グループリーグを突破した大会では常に代表歴が長く経験豊富な選手が選出され、ピッチ外で「兄貴分」として精神面でイレブンを支えていた歴史がある。ここでは過去の“アニキ枠”について触れ、彼らがチームにもたらしたものや長友の存在についてを考察したい。


川島永嗣 写真:Getty Images

過去W杯での日本代表兄貴分的選手

まずは日本代表がW杯で過去、ベスト16に進出した際の兄貴分的選手を挙げよう。

2002日韓W杯:FW中山雅史(当時34歳、ジュビロ磐田所属、出場時間18分)

2002年の日韓W杯では、それまでエースナンバー「10」を着けていたMF中村俊輔の落選というサプライズとともに、フィリップ・トルシエ監督が背番号10を託したのは、1998年フランスW杯で日本代表W杯初ゴールを記録したFW中山雅史(現アスルクラロ沼津監督)だった。